手がけた施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 01:08 UTC 版)
横須賀海軍工廠 特に、第6船渠の建設に従事したことで知られる。同船渠は軍縮条約後の戦艦建造に備えて1935年建設が決定し、7月その掘削に着手した。この構築のため蠣ヶ浦一帯の丘を掘削し、土砂150万立方メートルを運び出して松ヶ原海岸と海兵団沖の埋め立てに使用された。1940年5月には艦艇の建造が一応は可能な程度に進捗し、大和型戦艦3番艦の信濃が起工された。太平洋戦争の戦局進展に伴い、空母への改造が決定、ほぼ完成までの工事を行った。閘門の取り付けは1942年である。戦後は他の施設同様米海軍に接収され現在に至る(詳細は上記項目参照)。
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