所在地に関する諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 01:40 UTC 版)
位置については現在の新潟県にあった渟足柵と磐舟柵の中間、現在の新潟県と山形県の境界付近(鼠ヶ関、山形県の庄内平野の最上川河口付近、鶴岡市木野俣、秋田県の由利地方など諸説ある。また磐舟柵の別名とする説もあるが、いずれも積極的根拠を持たない。 アイヌ語地名の研究家山田秀三によれば、ト・キサラ(沼の耳)は北海道のアイヌ語地名としてよくあるもので、沼の一部が耳のように湾入した地形を指す。そこを要害として柵を設けたのではないかというのが山田の説である。 公共機関発行の、古代東北世界に生きた人びと―交流と交易ーには新潟県内の城柵・官衙として淳足柵・磐舟柵と考えられる新潟市沼垂と村上市岩船の位置に赤印がつけられ、さらに北上した県境の新潟県側“村上市府屋“付近にい都岐沙羅柵と考えられる位置に赤印がつけられている。(4)(古代北方世界に生きた人びとー交流と交易ー 発行元:新潟県歴史博物館・北海道開拓記念館・東北歴史博物館:事務局:東北歴史博物館:2008年 p20)
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