戸賀崎胤芳の系統とは? わかりやすく解説

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戸賀崎胤芳の系統(戸賀崎流)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:21 UTC 版)

神道無念流」の記事における「戸賀崎胤芳の系統(戸賀崎流)」の解説

岡田十松系とは別に2代目戸賀崎暉芳戸賀崎熊太郎の子・胤芳(2代戸賀崎熊太郎)は岡田吉利初代岡田十松)の庇護薫陶をうけ、やがて自らも流儀継いで安永7年1778年江戸二番町道場開いて隆盛博し当時門弟3000人を数えたという。その後3代芳栄(喜道軒)、4代芳武(尚道軒)と続いた5代保之進(好道軒)の時に道場廃された。しかし、戸賀崎氏の出身地武蔵国清久(現・埼玉県久喜市上清久)ではその後戸賀崎流として存続した。平成18年2006年)、現当主・正道により再び神道無念流「恵文館」道場として復興している。 この系統立居合は他の系統大きく異なる点が多い。また五加五形、非打の組太刀のうち、失伝した非打を伝書より復元中である。 この他戸賀崎系は駿府伝わった系統がある。幕末戸賀崎胤芳より皆伝受けた駿府奉行所同心小倉隼太は駿府帰り明治2年1869年)より同心屋敷神道無念流指導した廃藩後、隼太の子小倉笑一は本格的に道場を開くが、明治15年1869年)に道場閉じた。笑一より神道無念流学んだ甥の小倉孝一は新陰流修行し道場再建して神道無念流剣道場 春風館」を開いた小倉孝一は大日本武徳会静岡支部道場教授静岡県警察部剣道講師静岡商業学校剣道教師務め台覧試合にも出場している。現在の春風館では剣道伯耆流居合杖道指導されているが、神道無念流伝えられているかは不明である。

※この「戸賀崎胤芳の系統(戸賀崎流)」の解説は、「神道無念流」の解説の一部です。
「戸賀崎胤芳の系統(戸賀崎流)」を含む「神道無念流」の記事については、「神道無念流」の概要を参照ください。

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