戸賀崎胤芳の系統(戸賀崎流)
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「神道無念流」の記事における「戸賀崎胤芳の系統(戸賀崎流)」の解説
岡田十松系とは別に、2代目戸賀崎暉芳(戸賀崎熊太郎)の子・胤芳(2代戸賀崎熊太郎)は岡田吉利(初代岡田十松)の庇護・薫陶をうけ、やがて自らも流儀を継いで、安永7年(1778年)江戸裏二番町に道場を開いて隆盛を博し、当時門弟3000人を数えたという。その後、3代芳栄(喜道軒)、4代芳武(尚道軒)と続いた。5代保之進(好道軒)の時に道場が廃された。しかし、戸賀崎氏の出身地武蔵国清久(現・埼玉県久喜市上清久)ではその後も戸賀崎流として存続した。平成18年(2006年)、現当主・正道により再び神道無念流「恵文館」道場として復興している。 この系統の立居合は他の系統と大きく異なる点が多い。また五加五形、非打の組太刀のうち、失伝した非打を伝書より復元中である。 この他の戸賀崎系は駿府に伝わった系統がある。幕末に戸賀崎胤芳より皆伝を受けた駿府奉行所同心・小倉隼太は駿府に帰り、明治2年(1869年)より同心屋敷で神道無念流を指導した。廃藩後、隼太の子・小倉笑一は本格的に道場を開くが、明治15年(1869年)に道場を閉じた。笑一より神道無念流を学んだ甥の小倉孝一は新陰流も修行し、道場を再建して「神道無念流剣道場 春風館」を開いた。小倉孝一は大日本武徳会静岡支部道場教授・静岡県警察部剣道講師・静岡商業学校の剣道教師も務め、台覧試合にも出場している。現在の春風館では剣道・伯耆流居合・杖道が指導されているが、神道無念流が伝えられているかは不明である。
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