戦争の情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 14:23 UTC 版)
詳細は「北東フランス戦役 (1814年)(英語版)」を参照 第六次対仏大同盟戦争において、フランス軍は1814年初までにドイツ(1813年ドイツ戦役)でもスペイン(半島戦争)でも敗退、北東と南西からフランス本土への侵攻をすぐにでも受けるようになった。 北東の戦線では同盟軍が3つの部隊に分けてフランスへの侵攻を準備したが、六日間の戦役までにフランス国境を越えたのは下記の2部隊だけだった。 ボヘミア軍 - 20万人から21万人で、オーストリア、ロシア、バイエルン、ヴュルテンベルク兵で構成された。指揮官はシュヴァルツェンベルク公カール・フィリップ(英語版)であり、スイス領を(各カントンの中立を違反して)通過、1813年12月20日にバーゼルとシャフハウゼンの間でライン川を渡った。 シュレージエン軍 - 5万人から5万6千人で、プロイセン、ロシア兵で構成された。指揮官はゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘルで、1814年1月1日にラシュタットとコブレンツの間でライン川を渡った。 同時期にはウェリントン公爵がピレネー山脈を越えて南西から侵攻してきた(英語版)。ナポレオンはフランス南西部の守備にニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト元帥とルイ=ガブリエル・スーシェ元帥を残し、自身は北東部の守備を指揮した。 ナポレオンの軍勢は約20万人だったが、うち10万以上はスペインとの国境でウェリントン公爵と対峙しており、さらに2万以上がアルプス山脈の通り道を監視していた。そのため、東部と北東部国境の守備に使えるのは8万人以下であったが、以前のドイツ戦役などと違い、自国領であるため食料と連絡線の確保は容易だった。
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