我が子を食らうサトゥルヌスとは? わかりやすく解説

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わがこをくうサトゥルヌス〔わがこをくふ‐〕【我が子を食うサトゥルヌス】


我が子を食らうサトゥルヌス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/22 04:17 UTC 版)

『我が子を食らうサトゥルヌス』
スペイン語: Saturno devorando a su hijo
英語: Saturn Devouring His Son
作者 フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年 1820-1823年
種類 油彩を用いた混合技法による壁画 (キャンバスに移し替え)[1]
寸法 146 cm × 83 cm (57 in × 33 in)
所蔵 プラド美術館マドリード

我が子を食らうサトゥルヌス』(わがこをくらうサトゥルヌス、西: Saturno devorando a su hijo, : Saturn Devouring His Son)は、18-19世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1820-1823年に制作した壁画黒い絵」のうちの1点である。黒い絵は1881年にフレデリック・エミール・デルランジェ英語版男爵からスペイン政府に寄贈され[1][2]、1889年以来[1]マドリードプラド美術館に展示されている[1][3][4]

背景

1900年ごろのキンタ・デル・ソルド英語版 (聾者の家)

1819年2月、ゴヤはマンサナーレス川に架かるセゴビア橋近くにレンガ造りの2階屋を購入した。この家は、ゴヤの死後に「キンタ・デル・ソルド英語版 (聾者の家) 」として知られるようになる[5]X線調査によると、ゴヤは当初、この家の1階と2階の壁に穏やかな山岳風景を描いていたが、それらをほとんどを描いた段階で突然、黒と褐色の絵具で風景を戦慄すべき「黒い絵」に塗り変えていった[5]。その理由は、1821年以降のスペインの政治的騒乱状態のために、ゴヤが抱いた革命の敗北への暗い予感、あるいは革命政府と民衆の断絶に対する絶望であったと考えられる[6]

キンタ・デル・ソルドはゴヤの孫マリアーノ (Mariano) に譲られたが、その後何人かの所有者を経て、1873年にフレデリック・エミール・デルランジェ男爵の所有に帰した。「黒い絵」は1878年のパリ万国博覧会で展示された後、1881年に男爵からスペイン政府に寄贈されたものである[1][2]。「黒い絵」は壁の漆喰ごとキャンバス上に移し替えられ、運び出されたため、制作当初の配置については、それ以前にキンタ・デル・ソルドを訪れた人々の異なる記録から推測するしかない[2][6]

『我が子を食らうサトゥルヌス』が描かれたのは1階の食堂であった。その位置は伝統的に『レオカディア』の反対側だと考えられてきた[1][3]が、本作が壁から外される前に撮られた写真の光の状態にもとづき、研究者のナイジェル・グレンディニング英語版は『二人の老人』の反対側に描かれていたという新説を提唱している[3]。いずれにしても、ゴヤはこの血なまぐさい絵画を眺めながら、食事を摂っていたのである[7]

作品

ピーテル・パウル・ルーベンス我が子を食らうサトゥルヌス』 (1636-1638年)、プラド美術館

本作は、ローマ神話に登場する農耕神サトゥルヌスギリシア神話クロノスに相当)を描いている。彼は、将来、成長した自分の子に殺されるという、大地母神ガイア予言に恐れを抱き、妻が出産した5人の子を次々に呑み込んでいったという[3][4][7][8]。最終的に、妻はサトゥルヌスがユピテルを食い殺すのを防ぎ、ユピテルはサトゥルヌスに呑み込んだ兄弟姉妹たちを吐き出させた。画面に描かれているのは、サトゥルヌスが自身の子供の1人をばらばらにし、貪り食っている瞬間である。彼は、手の力で子供の身体を潰しているようであり、指からは血が滴っている[3]

時代を経ると、サトゥルヌスはすべてを滅ぼす「時の翁」像と合体し、憂鬱、老齢、退廃、破壊を体現する存在として表現されるようになる[4]。本作は、17世紀フランドルの巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスの『我が子を食らうサトゥルヌス』 (プラド美術館) を想起させる[3]。ゴヤは、当時スペイン王室のコレクションにあったルーベンスの作品を知っていたはずである[7]。しかし、2人の画家の作品には相違点がある。ルーベンスは主題の伝統的図像を尊重しており[3]、サトゥルヌスに老齢を示す松葉杖を持たせている[4]。一方、ゴヤは神話の世界という枠を破っている。人間の狂気を表現し[7]、サトゥルヌスの残虐で攻撃的な側面に焦点を当てているのである[3]。また、本作が修復される前の写真によれば、サトゥルヌスの男性器勃起していたという。もしそうであるなら、彼は生命を奪う (死) だけでなく、生命をも授けていたということになる[4]

研究者ノルトストロム (Nordström) によれば、本作は、食堂に描かれた一群の絵画の図像プログラムを理解するための鍵となる。憂鬱の神サトゥルヌスは、1819年に病気に苦しみ、老齢となっていた当時のゴヤの気分を象徴する[3]。本作は、抽象的なものに近い、非常に簡素な作品である。また、サトゥルヌスの顔に見られる強い表現主義は衝撃的である。その顔は動きで満たされ、力強い筆致で表されているが、研究者グディオル (Gudiol) によれば、その筆致は完璧な下絵を隠している。本作は、コントラストからなる作品でもある。サトゥルヌスの姿は、暗く無地の非現実的な背景の中に立っている。赤い血もまた、恐ろしい効果をもたらしている黒と灰色の色調とコントラストをなしている。この絵画でゴヤが示している表現主義は、現代の画家たちのインスピレーションとなるものであった[3]

食堂の絵画

食人鬼ゴール

日本で1970年代に数多く刊行された怪奇系児童書に属する複数の書籍では「食人鬼」あるいは「食人鬼ゴール」という名前で紹介されている妖怪に、本作品を図版として掲載しているものが見られる(佐藤有文世界妖怪図鑑』(1973年)など)。『世界妖怪図鑑』では、その食人鬼は特にポルトガルに棲息するとされる夜行性の妖怪で、身長は5メートルあり、金持ちを好んで食す[9]とされるが、ポルトガルにおける同伝承についてを記した文献などの出典は不明であり、本作品との結びつきを含めて無関係な流用である。

脚注

  1. ^ a b c d e f Saturn”. プラド美術館公式サイト (英語). 2026年1月20日閲覧。
  2. ^ a b c プラド美術館 2009, p. 186.
  3. ^ a b c d e f g h i j Saturn Devouring One of His Children (Saturno devorando a un hijo)”. Fundación Goya en Aragón公式サイト (英語). 2026年1月20日閲覧。
  4. ^ a b c d e 大高保二郎、2006年、113頁。
  5. ^ a b 『NHK プラド美術館5 革命と動乱の画家ゴヤ』、1992年、98-99頁。
  6. ^ a b 『NHK プラド美術館5 革命と動乱の画家ゴヤ』、1992年、100頁。
  7. ^ a b c d 『NHK プラド美術館5 革命と動乱の画家ゴヤ』、1992年、101頁。
  8. ^ 『日経おとなのOFF』2018年7月号、日経BPマーケティング、 77頁。
  9. ^ 佐藤有文 『世界妖怪図鑑』 立風書房 1973年 84頁

参考文献

関連項目

外部リンク




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