愛知大学との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:46 UTC 版)
「東亜同文書院大学 (旧制)」の記事における「愛知大学との関係」の解説
東亜同文書院大学と愛知大学は別の組織だが、愛知大学は東亜同文書院を前身校と位置づけている。 東亜同文書院大学学長であった本間喜一は、学校の再建を考えて学籍簿と成績簿を上海から持ち帰った。1946年(昭和21年)6月、本間による旧学生・教職員を収容する新大学設立計画が本格化する。しかし、GHQが東亜同文書院大学の復活に難色を示したため、一部の旧教員の就任が見送られることになり、結局、1946年(昭和21年)11月に京城帝国大学や台北帝国大学など外地の学校から引き揚げて来た学生・教職員も含めて愛知大学(旧制大学)が設立された。しかし、愛知大学は東亜同文書院の学籍簿と成績簿を保管して東亜同文書院大学の卒業生の卒業証明書などの発行事務を行っており、実質的な後身校となった。 また、愛知大学は東亜同文書院大学が進めていた華日辞典編纂事業を引き継いで『中日大辞典』を刊行し、さらに1993年(平成5年)には愛知大学東亜同文書院大学記念センターを設立して東亜同文書院関係資料の収集整理ならびに研究を進めている。
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