愛知外国語学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 19:47 UTC 版)
「外国語学校 (明治初期)」の記事における「愛知外国語学校」の解説
1874(明治7)年3月設置。同年5月に名古屋七間町の「成美学校」の校舎を譲り受けて愛知外国語学校として発足し、1874年12月に愛知英語学校と改称した。 成美学校は、1870(明治3)年6月に設立され英語・フランス語を教えた尾張藩藩校通称「洋学校」を源流とした。同校が1871(明治4)年に廃藩置県により廃止となった後も、学校は名古屋県に引き継がれて「洋学校」と呼ばれ、翌1873(明治6)年6月にフランス語科が廃止され、「成美学校」と改称した。1874年9月に廃校となり愛知外国語学校に吸収された。主な卒業生に加藤高明(服部総吉)、二葉亭四迷(長谷川辰之助)がいる。 愛知英語学校は、通訳を目指す甲種と、語学を修了して専門学科に進学する学生を教育する乙種に分かれていた。明治9年の生徒数244人。主な卒業生に坪内逍遥、海軍大将・八代六郎がいる。外国人教師が多く、経費がかさんだため学校を東京に集中することになり、1877(明治10)年2月に廃校となったが、愛知県が文部省から校舎・施設を譲り受けて愛知中学校を開校、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1899年に愛知県第一中学校に改称、[要出典]現在の県立旭丘高の前身となった。
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