意図・意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 15:35 UTC 版)
川端は若い時から、〈「東方の歌」と題する作品の構想〉を抱き、それを〈白鳥の歌〉(最後の作品)にしたいという作家的意欲を持って、〈東方の古典、とりわけ仏典を、世界最大の文学と信じて〉いた。そして、それを〈書けずに死にゆくかもしれないが、書きたがつてゐたといふことだけは、知つてもらひたいと思ふ〉とも語っていた。 この川端の〈東方の歌〉の「序説」としての意味合いを持つものが『美しい日本の私――その序説』(1968年)だと見るのはたやすく、川端がその記念講演の中で自らの文学について語った〈東洋の無〉〈仏教の無〉を裏打ちできる作品が、その直前まで連載中だった『たんぽぽ』(最後の長編)であり、〈白鳥の歌〉(最後の作品)であったと考えられる。 また川端は林芙美子が亡くなった折に、林の未完の遺作『めし』に寄せて、〈未完の絶筆は、作者を代表する名作となり、作者の生涯を決定する象徴ともなつてゐる〉として、〈処女作に作家のすべてがあるとしますと、絶筆にはなほ作家のすべて〉があると語っており、自身の生涯最後の作品にも、こうした〈名作〉を目指す思いがあったことが容易に推察される。
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