恒貞親王とは? わかりやすく解説

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恒貞親王

(恒寂法親王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/11 09:07 UTC 版)

恒貞親王
(恒寂入道親王)
恒貞親王(『前賢故実』より)
皇太子
在位 天長10年2月30日833年3月4日)- 承和9年7月23日842年9月1日)廃

時代 平安時代初期
生誕 天長2年(825年
薨去 元慶8年9月20日884年10月12日
改名 恒貞 → 恒寂(法名)
別名 亭子親王
墓所 (伝)入道塚陵墓参考地
京都市右京区嵯峨大沢柳井手町
位階 三品
門跡 大覚寺初祖
父母 父:淳和天皇、母:正子内親王
兄弟 恒世親王氏子内親王、有子内親王、貞子内親王、恒貞親王基貞親王、恒統親王、良貞親王
藤原愛発女、藤原是雄
2人
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恒貞親王(つねさだ しんのう)は、淳和天皇の第二皇子。仁明天皇皇太子に立てられたが、承和9年(842年)の承和の変により、皇太子を廃された。後に出家して恒寂入道親王(ごうじゃく にゅうどうしんのう)となり、大覚寺の初祖となった。異称に亭子親王

来歴

生い立ち

恒寂入道親王坐像(大覚寺御影堂安置)

天長2年(825年)、淳和天皇皇后正子内親王との間の長男として生まれた。異母兄・恒世親王弘仁14年(823年)4月に淳和天皇の皇太子に立てられたものの即日辞退し、その日のうちに嵯峨上皇の子である正良親王(仁明天皇)が立太子された。恒世親王は天長3年(826年)に没し、恒貞親王は淳和天皇の後継者と目された。

天長10年(833年)母方の叔父、父方では従兄にあたる仁明天皇の即位に際し、嵯峨上皇の叡慮により立太子承和5年(838年紫宸殿において元服するが、天皇に拝謁する際に礼儀を備えており、紫宸殿を降りて拝舞する様子も雅やかで麗しかったという。その後、淳和上皇や恒貞親王は権力闘争に巻き込まれる事を憂慮して度々皇太子の辞退を申し入れたものの、嵯峨上皇や仁明天皇に慰留されてしまう[1]

承和の変

しかし承和9年(842年)7月、嵯峨上皇の崩御後まもなく、恒貞親王を奉じた謀反計画が発覚したとされる承和の変が発生し、恒貞親王は直ちに辞表を天皇に奉ったが、皇太子には罪はないものとして一旦は慰留される。ところが23日、左近衛少将藤原良相(良房の弟)が近衛府の兵を率いて東宮を包囲し、出仕していた大納言藤原愛発中納言藤原吉野参議文室秋津らを逮捕。

仁明天皇は詔を発して伴健岑橘逸勢らを謀反人と断じ、恒貞親王は事件とは無関係とされたものの、責任を問われて皇太子を廃位され、代わって天皇の実子・道康親王が皇太子に立てられた。この事件は自らの甥である道康親王を擁立することで権勢を狙った藤原良房の陰謀とされるが、近年では異論もある。

最新の研究では、我が子を立太子したい仁明天皇、その母である(恒貞親王の祖母)太皇太后橘嘉智子(檀林皇太后)らを含めた計画であったと考えられている。実際、恒貞親王の母である正子皇太后は我が子が廃されると、この陰謀に関わったとみられる母・橘嘉智子を激しく怒り泣いて恨んだと『日本三代実録』に記されている。

その後

嘉祥2年(849年)に三品に叙せられるが、まもなく出家して恒寂と号した。真如入道親王から灌頂を受け、嵯峨大覚寺の初祖となった。仏道に深く帰依して常に精進持戒したという。

元慶8年(884年陽成天皇が実質的に廃位されると皇位継承問題が生じ、その際に即位を要請されたがこれを拒絶している。なお、この背景として、平安時代初期以降、皇族の身分変動に対する考え方が緩やかとなり、廃太子になった者も幽閉・処刑などの厳しい処罰は科せられず、通常の親王身分に戻されるのみとなった(皇位継承の可能性から完全に排除されるわけではない)ことが影響していると考えられている[2]

元慶8年(884年)9月20日薨去享年60。己の最期を悟ると、衣服を浄め仏前に香華を備え、西方に向かって結跏趺坐の姿勢を取って入寂したと伝えられている。

人物

性格はゆったりとして優雅であり、姿形が美しかったという[3]

系譜

脚注

  1. ^ 『恒貞親王伝』
  2. ^ 仁藤智子 著「平安時代における親王の身分と身体」、古瀬奈津子 編『古代日本の政治と制度-律令制・史料・儀式-』同成社、2021年、357-362頁。ISBN 978-4-88621-862-9 
  3. ^ 『日本三代実録』元慶8年9月20日条

参考文献

関連項目





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