恐慌と合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 06:26 UTC 版)
ベアリング恐慌が本位貨幣を争うアメリカを直撃、1896年にJPモルガンとロスチャイルドの拠出を合わせた合衆国の準備金が大ダメージを受けた。イングランド銀行も日銀の預金を継続的に借りるほどであった。 1896年からFrancis Bevan が20年間にわたり初代会長を務めた。実務はイギリス東インド会社出身のFrederick Goodenough が40年もの間リードした。最初はベヴァンの秘書として、ベヴァンが死んでからは会長として、フレデリックは1934年に死ぬまでずっと君臨したのである。他行の吸収合併は1920年まで頻繁に行われたので、フレデリックは現場を信頼して分権主義を採った。 1917年までにバークレイズは17の個人銀行と1つの合名銀行を吸収し、バークレイズ銀行となる。翌年にLondon and Provincial Bank を吸収して、バークレイズの預金高は3億2800万ポンドに達した。1919年、コールウィン委員会の建議により合併要件が厳しくなった。しかしフレデリックは第一次世界大戦の初めから準備を進め、ついに1925年イングランド銀行の反対をおしきって、Anglo-Egyptian Bank とNational Bank of South Africa Limited. を吸収合併した。 1934年にフレデリックが死ぬとWilliam Favill Tuke とEdwin Fisher、そしてSir William Goodenough, 1st Baronet が、それぞれ1936年までと1947年まで、そして1951年まで会長を務めた。ここまでは死ぬまで勤め上げる会長が多かった。1951年にAnthony William Tuke が就任して、1965年にカリフォルニアへ支店を設け、翌年にバークレイカードを世へ送り出した。
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