徳川秀忠とは? わかりやすく解説

徳川秀忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 01:48 UTC 版)

徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将江戸幕府の第2代将軍(在職:1605年 - 1623年)。


注釈

  1. ^ 賜姓は1597年説もあり。
  2. ^ 秀忠から見て5代前の祖先である松平長忠、高祖父(4代前の祖先)である松平信忠、祖父の松平広忠がいずれも「忠」を用いている。
  3. ^ 達子は近江国の戦国大名浅井長政の三女で、母は織田信長の妹於市。達子は天正14年から文禄元年頃に秀吉の養子・豊臣秀勝に嫁いでいたが、文禄元年に秀勝は死去していた。
  4. ^ ただし、相模に所領を持つ大久保忠隣・本多正信は秀忠の補佐として、秀忠の旗下にあった。
  5. ^ 司馬遼太郎関ヶ原』 (1966年)など。
  6. ^ 山本博文は「家康の路線を確立させたのは秀忠の功績である。政治的資質においては、家光などよりもはるかに優れていた」と評した[23]
  7. ^ 没後に側室の扱いを受ける。
  8. ^ 養父である秀忠の菩提を弔うため寛永2年(1625年)に、本妙寺(現:京都府宮津市)を開創している。
  9. ^ 慶長16年(1611年)4月に家康と家康側室の英勝院の養女となったが(『寛永諸家系図伝』)、忠宗との婚姻前に家康が亡くなったため改めて秀忠の養女となった。

出典

  1. ^ a b "徳川秀忠". 朝日日本歴史人物事典 (1994). コトバンクより2022年9月28日閲覧
  2. ^ 山本 2020, p. 1.
  3. ^ 山本 2020, pp. 1–2.
  4. ^ 山本 2020, p. 2.
  5. ^ a b 片山 2017, 「豊臣政権の対北条政策と家康」
  6. ^ 『家忠日記』天正18年正月7日条
  7. ^ 木下半介長束大蔵大輔宛「(天正17年)九月十七日付家康書状」(民間蔵)
  8. ^ 『家忠日記』天正18年正月25日条
  9. ^ a b 村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」『駒沢史学』49号、1996年。 
  10. ^ 「家康子於長公家成、予所よりしやうそくニあらためられ候」
  11. ^ 片山 2017, pp. 25–27, 「天正年間における豊臣政権の在京賄料」.
  12. ^ a b 黒田基樹「羽柴(豊臣)政権における家康の地位」黒田 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P288-290.
  13. ^ 片山正彦「書評 福田千鶴著『淀殿 -われ太閤の妻となりて-』」『織豊期研究』9号、織豊期研究会、2007年。 /所収:片山 2017, pp. 78–80
  14. ^ 村川浩平「天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜の事例」『駒沢史学』80号、2013年、120頁。 
  15. ^ 岡野友彦『源氏と日本国王』講談社、2003年。 
  16. ^ 谷川彰英『京都地名の由来を歩く』2015年
  17. ^ a b 三俣俊ニ「京都の大殉教の殉教地について」
  18. ^ 鈴木 1985.
  19. ^ 鈴木尚; 矢島恭介; 山辺知行 編『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』東京大学出版会、1967年。 
  20. ^ 柴辻俊六『真田昌幸』吉川弘文館〈人物叢書〉、1996年、209頁。 
  21. ^ 黒田基樹『「豊臣大名」真田一族』洋泉社、2016年
  22. ^ 小和田 1999, p. 87.
  23. ^ 山本博文『遊びをする将軍 踊る大名』教育出版、2002年、66-67頁。 
  24. ^ 山本博文『江戸城の宮廷政治 熊本藩細川忠興・忠利父子の往復書状』〈講談社学術文庫〉2004年、48頁。 
  25. ^ a b 岡谷繁実『名将言行録』巻之四十二
  26. ^ 篠田達明『徳川将軍家十五代のカルテ』〈新潮新書〉2005年、5頁。 
  27. ^ 篠田 2005, pp. 38.
  28. ^ 篠田 2005, pp. 41.
  29. ^ 鈴木 1985, pp. 24–25.
  30. ^ a b c d e f g 高瀬羽皐 編「細川の大三原」『刀剣と歴史』 5巻、羽澤文庫、1911年http://masaie.jp/yusaiomihara/ 
  31. ^ 福永酔剣『日本刀大百科事典』 1巻、雄山閣、1993年、203頁。ISBN 4-639-01202-0 
  32. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション『同性愛の研究』59頁 (著者:守田有秋 発行所:人生創造社 発行:昭和6年(1931年)12月5日) (2018年11月3日閲覧。)
  33. ^ “将軍の肖像画、下絵はリアル 徳川宗家に伝来、研究進む”. 朝日新聞. (2012年8月8日). オリジナルの2012年8月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120810121502/http://www.asahi.com/culture/intro/TKY201208070563.html 
  34. ^ 鶴は千年、亀は萬年。2012年8月8日付 Archived 2013年9月1日, at the Wayback Machine.
  35. ^ 系図纂要
  36. ^ a b 「幕府祚胤伝」(『徳川諸家系譜』第2巻)
  37. ^ 「征夷大将軍・系譜総覧」『歴史読本 臨時増刊』(1979年6月)
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  39. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二百六十三. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082719/213 
  40. ^ 詳細検索結果|「捨て童子・松平忠輝」に一致する資料: 56件中1から6件目|国立国会図書館サーチ”. iss.ndl.go.jp. 2022年12月13日閲覧。
  41. ^ 詳細検索結果|「捨て童子・松平忠輝 横山光輝」に一致する資料: 28件中1から1件目|国立国会図書館サーチ”. iss.ndl.go.jp. 2022年12月13日閲覧。
  42. ^ 慶長グランド・ロマン 『野風の笛』”. 宝塚歌劇団. 2022年12月13日閲覧。






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