御堂流故実とは? わかりやすく解説

御堂流故実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/07 05:07 UTC 版)

御堂流」の記事における「御堂流故実」の解説

また、御堂流には九条流から派生した有職故実流派としての意味も存在する九条流道長祖父である師輔が興した流派であったが、その子供たちは権力抗争繰り広げており、故実流派としては振るわなかった。道長は妻の1人である源明子通じて明子の父源高明著した西宮記』を相伝した。道長九条流継承しながら醍醐源氏故実加えることで、独自の流派形成して口伝秘事として、道長の子頼通・教通に継承されたとされている。その後、教通が小野宮家藤原公任娘婿となって公任が著した北山抄』を相伝した。これによって更に小野宮流故実取り込むことに成功して、御堂流故実を形成することになったとされている。 その一方で道長自身は自らが示した新儀御堂流)の作法小野宮流など他家公卿にも強要しようとしていたことが藤原実資の『小右記』(長和5年正月2日条及び治安元年7月25日26日条など)に記されている。これについて告井幸男は道長御堂流の手法で公家社会故実統一しようとする意図有していたと解し末松剛は道長は本来であれば九条流でも傍流属しており、九条流拘らず様々な流派良い点取り入れてその都度適宜に判断して実践していった「総覧者」であったとする。告井や末松の説は道長摂関家御堂流占めることには意を注いだものの、子孫継承させるための独自の故実(御堂流故実)を創設する意図はなかった(もしくはできなかった)とする。また、末松道長様々な事情から内覧一上大臣としての経験は豊富である反面摂関地位には1年ほどしかいなかったに対して息子頼通50年余り務めたことを重視し摂関として必要な先例故実頼通時代形成され御堂流伝来されたことが同流摂関家であり続けた理由1つとみる。摂関就任する以前大臣(あるいは一上としての先例として道長の例が、摂関としての先例として頼通の例が重視されのである。 やがて、院政期における摂関地位を巡る内紛経た忠実時代には、道長頼通が行った先例故実を「御堂流故実」とみなして摂家はじめとする御堂流一門統合象徴として尊重していく考え方高まり御堂流属す人物のみが用い故実とする認識定着することになった。更に基房によって摂関家の家説として質的に高められていくことになる。

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