後期:バンドの減退期とは? わかりやすく解説

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後期:バンドの減退期(1981年 - 1985年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 22:30 UTC 版)

ピンク・フロイド」の記事における「後期:バンドの減退期(1981年 - 1985年)」の解説

1983年発表の『ファイナル・カットThe Final Cut)』は、"A Requiem For The Post War Dream by Roger Waters"(ロジャー・ウォーターズによる戦後の夢へのレクイエム)というサブタイトルから伺えるように、ピンク・フロイド名義ではあるが実質的にウォーターズソロ作品である。ウォーターズ以外のメンバーであるデヴィッド・ギルモアニック・メイスンレコーディング・セッションではウォーターズに乞われたときにしか動かないという状態であった当初ファイナル・カット』に伴うコンサート・ツアーも行う予定であったが、ウォーターズがこれを中止させた。このためピンク・フロイド活動停止態となり、メンバーそれぞれのソロ活動を行うことになる。すでに脱退していたライトソロ・プロジェクト立ち上げた1984年ギルモアは『狂気のプロフィール(About Face)』を、ウォーターズは『ヒッチハイクの賛否両論(The Pros and Cons of Hitch Hiking)』を発表しアルバムに伴うコンサートツアー行った。しかし、両者アルバムの売り上げ並びにコンサート観客動員芳しいものではなく空席の目立つ観客席前に演奏することが多かったギルモアコンサートわずかに黒字確保したが、ウォーターズは(エリック・クラプトンという大物居たにも拘わらずチケット売り切ることが全く出来ず大幅な損失被ってしまった。 1985年6月ウォーターズマネージャーであるスティーブ・オラークとの契約破棄しようとした。しかし、オラークはウォーターズの意に反し引き続きピンク・フロイド仕事続けたため、ウォーターズギルモアメイスン同意取り付けようとするが両者拒否結局ウォーターズ同年12月に「ピンク・フロイド創造性使い切った」との理由バンド脱退したウォーターズにとっては、ピンク・フロイドはもはやその存在価値無くしていた。ウォーターズは、リーダーである自分脱退することでバンド解散意図していたが、ギルモアフロイド活動継続決めたウォーターズ脱退後映画『風が吹くとき』サウンドトラック担当した。これはウォーターズ自身アルバム制作のためのヒントとなり、1984年の『ヒッチハイクの賛否両論』に続くソロ・アルバム制作つながったウォーターズプロデュースボブ・エズリン依頼したが、エズリンギルモア主導ピンク・フロイド新作プロデュースのためにこのオファー断りウォーターズ怒り買った

※この「後期:バンドの減退期(1981年 - 1985年)」の解説は、「ピンク・フロイド」の解説の一部です。
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