後期のサファヴィー建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:00 UTC 版)
「サファヴィー建築」の記事における「後期のサファヴィー建築」の解説
最盛期を過ぎると、サファヴィー建築にはほとんどなんの進展も見られなくなる。注目される建築は数少ないが、シャー・アッバース2世によって建設されたポル・イ・ハージュー(ハージュ橋)は橋梁であるため、どちらかと言うと土木工学ではあるものの、優れた建築である。ポル・イ・ハージューはダムとしての機能も持ち、川によって冷却された風がヴォールトを抜けるため、心地の良い場所となっている。 イスラーム建築にとっても重要な建築であるハシュト・ベヘシュトは、庭園の中に組み込まれた園亭で、ドームを頂く八角形の部屋を中心にして、四つの八角形の部屋を配置し、2階も同じ構成を繰り返している。本来は白羊朝の庭園に建設されたパヴィリオンであったが、より小型のものがエスファハーンにも、さらにムガル朝においても建設された。ただし、ムガル朝のハシュト・ベヘシュトは、ティムール朝に起源を持つ。エスファハーンのハシュト・ベヘシュトは、1669年にサフィー2世スライマーンによって建てられたもので、現在は大幅に改築されてしまったもののみが残るが、1840年の記録が残っており、これによると、中央広間には噴水が設けられ、北側のアーチからは庭園全体を眺めることができたことが分かる。
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