後期のプロイセン軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/05 23:19 UTC 版)
「フェルトイェーガー」の記事における「後期のプロイセン軍」の解説
1815年、プロイセン王国にてフランスのジャンダルムリをモデルとした国家憲兵組織として地方憲兵隊(Landgendarmerie)が設置される。地方憲兵隊は陸軍の部局として扱われていた。1914年、プロイセン王国における1つの州ごとに大佐ないし中佐を長とする1個憲兵旅団が設置される。地方憲兵隊長(Chef der Landgendarmerie)は歩兵大将(General der Infanterie)が務めた。また動員令が下った場合、国家憲兵隊の隊員による野戦部隊として野戦憲兵隊(Feldgendarmerie)が構成されることとされていた。野戦憲兵隊は普墺戦争や普仏戦争でも派遣され、前線における交通整理や保安・警察任務に従事した。 第一次世界大戦が勃発した1914年の時点で、ドイツ帝国の野戦憲兵隊は33個の部隊を有していたが、その後100個部隊まで拡大された。憲兵隊員はゴルゲット(英語版)(Ringkragen)や腕章によって識別された。 敗戦後に設置されたヴァイマル共和国軍では、憲兵組織の編成は行われなかった。
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