後手に廻る幕府の都市政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 15:30 UTC 版)
「天明の打ちこわし」の記事における「後手に廻る幕府の都市政策」の解説
幕府は当時の都市が抱えた問題への対応を進めていたが、石高制を基本とした幕府の体制下では、どうしても執りうる施策に根本的な矛盾が発生した。つまり幕府側は年貢として徴収した米の価格が高い方が利益となるのに対し、都市で生活する貧民層にとっては米の価格の高騰は生活困難に直結した。幕府は極端な米価の高騰といった特殊な場合を除き、自らの利益のために米価を高くする方向に誘導する政策を取り続けた。「高い米価によって武士の所得が増えることになるので武士の購買力が上がり、その結果町方の景気も良くなる」という論法で幕府は自らの政策の正当化を図ったが、武士の購買力の経済への影響は限定的なものであり、高米価政策は都市貧民層の生活苦に直結することになった。しかも高米価が幕府や武士全体の利益になるという構造は、米価高騰によって都市住民の生活が困窮に陥っても、武士階級の収入増となる高米価を是正する政策の実行をためらわせることにつながり、生活苦によって発生する打ちこわしの発生を未然に防ぐことが困難となるなど、対応がどうしても後手後手に廻るという事態を招くことになった。 そして全国各地の都市を席巻した天明の打ちこわしに対する対応を迫られた後の寛政の改革や、天保の改革において、都市の米の確保や都市住民の生活安定の重要性が認識されるようになり、高米価を抑制する政策が取られるようになるまで、高米価を志向する政策は幕府政策の基本であり続けた。
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