後成説の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/27 05:33 UTC 版)
カスパール・フリードリヒ・ヴォルフ(Caspar Friedrich Wolff、1733-94)は1759年に『発生論』を著わし、その中でニワトリ卵の中に器官の原基が小さい球体として生じる詳細を説明して、最初から器官の形が存在する訳ではないことを明確に述べた。これが後成説の成立と見なされる。 これで前成説は否定されてよかったのであるが、もともとこの説に宗教的な支持があった為もあり、ドイツ国内の権威者もこれに反発したという。しかし後成説が次第に強固になるのに対して、前成説を支持する事実は出てこず、19世紀初頭にはほぼ消滅した。 また、その後の細胞説の成立も影響が大きかった。これにより、発生の過程のより正確な観察や理解が可能となったこともあるが、多細胞生物が細胞の組み合わせでその形が出来ている以上、前成説に見られるようなやたらと小さい構造を想定するのは難しくなる。また。卵や精子が単一の細胞であることが確認されたことで、蛹や種子が卵にあたるとの誤解もなくなり、前成説の裏付けにはならないことが明らかになったことも大きい。
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