弦理論初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:44 UTC 版)
詳細は「弦理論#歴史」を参照 1950年代末から1960年代にかけて強い相互作用をする粒子(ハドロン)が多く発見され、それらの分類とその構成の成り立ちについての考察が始められた。超弦理論の元となった弦理論は、こうした粒子間に働く強い力の性質を記述するために考え出された。 まず、1950年代はじめにトゥーリオ・レッジェは、ハドロンの散乱実験において、共鳴状態の静止質量の2乗とスピンとの間に直線関係があることを見出した(レッジェ軌道)。1968年にイタリアのガブリエル・ヴェネツィアーノは、レッジェ軌道を再現する非常に簡単な公式で「散乱振幅」として表現した(ヴェネツィアーノ振幅)。 その公式を元に、ハドロンは振動する弦であると発表したのが、1970年の南部陽一郎、レオナルド・サスキンド、ホルガー・ベック・ニールセンである。それぞれ独立に発表された彼らの弦理論では、ハドロンは粒子ではなく振動する弦から構成され、粒子はそれぞれの振動モードに対応するというものであった。ただしこの理論では、弦の振動に理論の不安定性を表すタキオンが含まれるという欠陥が内包されていた。 南部らの弦理論ではボース粒子のみを記述していてフェルミ粒子は扱えないという問題もあったが、当時はフェルミ粒子を含めてボース粒子以外の記述を弦理論を拡張することで解を得ようという学者は少数派であった。1971年に、フランスのP.ラモン、A.ヌヴォ、アメリカのJ.シュワルツの3人によってボース粒子とフェルミ粒子の両方が扱える模型が提唱された。この模型が、超弦理論へと発展していくことになる。
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