弘道会設立
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山口組四代目跡目問題で弘田は山本広擁立にまわり、竹中正久と対立。しかし司ら幹部の説得により山本らが結成した一和会には参加せず、1984年(昭和59年)に弘田は引退。弘田組は若頭の司が引き継ぎ、弘道会へ名称変更・改組した。 1991年(平成3年)には名古屋抗争により運命共同会・中京五社会を解体させ、その多くを傘下に取り込んだ。その後、司が六代目山口組組長を継承すると、2005年(平成17年)3月に弘道会若頭・髙山清司(二代目髙山組総裁)が二代目を継承、山口組若頭にも就任した(同時に司は二代目として弘田組を復興させている)。これにより、山口組結成以来、初めて一つの組(弘道会)が山口組のナンバー1とナンバー2を占めることとなった。 2013年(平成25年)には竹内照明が三代目を継承、山口組直参に昇格した。 2015年(平成27年)8月には、山健組や宅見組などの関西に本拠を置く山口組勢力が弘道会を中心とした組織運営に不満を募らせて離脱に動き、神戸山口組を結成。山口組執行部側は、山健組など離脱派の組長10数人への制裁処分を行った。こうした動きに対し兵庫県議会の警察常任委員会は8月28日、委員は県民の不安が大きいことから総力を挙げて対応することを兵庫県警に要請した。
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