山口組四代目跡目問題
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山口組四代目跡目問題(やまぐちぐみよんだいめあとめもんだい)とは、昭和57年(1982年)2月4日から昭和59年(1984年)6月5日午後3時まで続いた、「四代目山口組組長を誰にするのか」という問題。山口組内部で、竹中正久を支持するグループと山本広を支持するグループが対立した。
- ^ 3月13日に姫路拘置所から保釈されていた。
- ^ 6月14日に兵庫県警が田岡文子を「三代目姐」と認定している。これは文子が山口組の人事に深く関わっており(四代目の跡目問題等)、四代目襲名式では夫である田岡の霊代を務めるなど一時的とは言え実質的に田岡の後を引き継いでいたことを警察当局が認識し警戒した措置であった。
- ^ 翌昭和58年(1983年)2月に接見禁止を解除。
- ^ この他、6月27日には宅見・織田・岸本才三(岸本組組長、後の五代目山口組本部長)が、放免祝いに竹中組事務所を訪れている。
- ^ 出典は、飯干晃一『ネオ山口組の野望』角川書店<角川文庫>、1994年、ISBN 4-04-146436-6 のP.78
- ^ この段階で、山口組参加者は直系組長42人で総組員数4690人、一和会参加者は直系組長34人で総組員数6021人だった。
- 1 山口組四代目跡目問題とは
- 2 山口組四代目跡目問題の概要
- 3 参考文献
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