建築取締規則の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 00:13 UTC 版)
北の大火からわずか半月後の8月18日には「大阪府例 建築取締規則」が発令施行された。88箇条に及ぶ規則が半月ほどで作成されるはずがないが、これはここに至るまでに防火の観点とは別の要因があったからである。 明治期の大阪はペストの流行が問題となり、1899年(明治32年)から1901年(明治34年)には157人、1905年(明治38年)から1907年(明治40年)には732人が大阪市内だけでペストによって死亡している。ペスト予防として媒介者であるネズミの駆除対策が急務となり、ネズミ生息の温床となっている建物構造の改善、防鼠を主眼とした取締規則が当時の大阪私立衛生会が中心となって作成され府知事へ建議、府警察部衛生課によって立案されたが、多くの既存建築物に影響を与える規則であるため施行成立は難航した。 ところが北の大火の発生により大阪府は「待ってました」とばかりに建築取締規則を施行発令されることになった。この法令は今日の目で見れば当然のことばかりであるが、明治期にこれだけ完備した建築規定が施行されたことは画期的なことであった。
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