店舗網拡大の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:22 UTC 版)
かつては同業の緑屋(現・クレディセゾン)との「出店競争」があり、関東圏から東北方面へ店舗網の拡大を目論んでいた時期があった。その際に東北進出の足がかりとして、郡山店を開店させた。 また緑屋が当時進出していなかった東海道方面(静岡県)へは、緑屋進出前に先手を打つという考えから沼津、清水、静岡、浜松の順で4店舗を時期をおいて開店させたという経緯があったといわれている。そのうち静岡店においては、自治体・商店街・出店企業が出店をめぐって調整・協議する場である「商業活動調整協議会」の力がたいへん強かったことから、店舗面積にも大変厳しい注文がつけられた。結果として極めて狭小な店舗での出店を余儀なくされ、隣接する清水店(当時の清水市ではここまで過激な反応はなく、むしろ出店を歓迎されたとも言われる)を増床し、静岡店で扱えない商品を清水店や後に開店する浜松店(こちらも静岡店と違いかなり余裕のある床面積であったといわれる)にて展開していたという。 しかし、東海道線エリアでは戸塚・藤沢・小田原といった神奈川県内の店舗を含んで、浜松、清水、沼津は既になく、東北エリア唯一の店舗であった郡山店も閉鎖するなど、かつての店舗拡大も大きく軌道修正が図られている。このほか首都圏都市部以外の出店として、熊谷、前橋といった高崎線エリアや、宇都宮などの栃木エリアにも進出の実績があるが、すべて閉鎖されている。 現在では本拠の首都圏において、南関東のターミナルを中心とした店舗展開を行い、同時に首都圏を脱し京阪神へ進出、また一時期は関連事業を名古屋においても展開するなど、西日本での店舗展開も進めるという「2つの流れ」を見て取れる。
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