広島市中区地下道16歳少女刺殺事件
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広島市中区地下道16歳少女刺殺事件 | |
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正式名称 | 地下道における少女刺殺事件[1] |
場所 | ![]() |
標的 | 少女K(当時16歳)[3] |
日付 | 2000年(平成12年)1月20日[3] 午前3時50分ごろ[2] (UTC+9) |
概要 | 何者かが帰宅途中の少女Kを刃物で刺して殺害した[2][4][3]。 |
懸賞金 | 300万円[5] |
攻撃手段 | 刃物で刺す[3] |
攻撃側人数 | 不明[3] |
武器 | 刃渡り10cm程の刃物(推定)[6] |
死亡者 | 1人[3] |
犯人 | 不明[3] |
容疑 | 殺人[3] |
動機 | 不明[3] |
対処 | 広島県警察捜査一課と広島中央警察署捜査本部が捜査中[7][8][1] |
影響 | 建設省は城北地下道に防犯カメラを設置することを決定した[9]。 |
管轄 | 広島県警察(捜査一課・広島中央警察署[3]) |
広島市中区地下道16歳少女刺殺事件(ひろしましなかくちかどう16さいしょうじょしさつじけん)は、2000年(平成12年)1月に広島県広島市で発生した殺人事件[2][4]。
「地下道における少女刺殺事件」や「Kさん殺人事件」とも呼ばれる[1]。
概要
2000年(平成12年)1月20日の午前3時50分頃、広島県広島市中区西白島町に所在する国道54号線の横断地下道(城北地下道)で、近くに住む少女K(当時16歳)が北西側入口から約30m入ったところで血を流して倒れているのを通行人が発見し、広島中央警察署基町交番に届け出た[2]。
発見当時、Kは意識があったものの、右胸など数ヶ所を刃物で刺されており、約50分後に出血多量で死亡した[2]。広島県警察捜査一課は殺人事件と断定し、広島中央警察署に捜査本部を設置した[2]。
事件現場となった地下道は交通量の多い交差点を横断する歩行者と自転車の専用道で、夜間は通行人が少なく、事件当時は10ヶ所に非常ベルが設置されていた[2]。また、深夜には暴走族風の少年らが集結することもあった[2]。
Kは事件前日の深夜から友人と広島駅付近の繁華街で遊んでいた[4]。その後タクシーで自宅付近である城北地下道まで移動した[3]。
降車した後、午前3時30分頃、地下道のある交差点にあるコンビニエンスストア(ローソン、現存せず)に入店[1][10]。ここに設置されていた防犯カメラにKは映っており、数分後に店を出た[4]。これがKの生存が確認できる最後の映像になる。
そして店を後にし、地下道を通った際に襲われたと考えられている[4]。また、襲われた直後に偶然友人から電話がかかって来ており、Kは「痛い、血が止まらない」と言い残した[10]。
司法解剖の結果、死因は失血死で胸部などの刺し傷が致命傷となった[4]。また、現金が入った財布はそのまま残されており、着衣に乱れはなかった[4]。
地下道からは凶器となった刃物は発見されず、広島県警捜査本部は現場付近の太田川河川敷などを金属探知機を用いて凶器の探索を行ったが、発見できなかった[11]。刺し傷の形状より、凶器は刃渡り10cm程度の刃幅の狭いナイフ状のものと推定される[12][6]。
後の調べで、Kは背後から襲われ、両腕の付け根付近の背中2ヶ所と両足の太ももの裏2ヶ所をほぼ左右対称に刺されていたことが分かった[6]。また、所持していたリュックの肩紐の一部が切断されていたが、胸などに抵抗したような傷はなかった[6]。
被害者K
当時Kは事件現場の付近のアパートで母親、祖母と一緒に暮らしていた[2]。広島県内の中学校を卒業後、1998年(平成10年)4月に広島市東区の私立高校に入学したが、1999年(平成11年)3月に退学[2]。以降は学校には通わずアルバイトをしていた。また、当時友人に相談を持ち掛けており、アドバイスしてほしいと依頼していた[10]。
その後
事件発生からKの交友関係や現場周辺にいた不審人物などの聞き込み調査を続けたが、家族や友人の話でもトラブルに巻き込まれていた情報はなく、目撃情報も数人がKが倒れている姿を見たのみと極めて少なかった[12]。そのため、事件発生から半年経った時点でも犯人に直接結びつくような有力な手がかりは発見されず、顔見知りによる犯行か通り魔による犯行かさえも絞りきれずに捜査は難航[6]。ナイフを用いた傷害事件など類似事件との関連を視野に入れるも、未だに犯人逮捕には至ってない[3][8][1]。
被害者の養母は2003年(平成15年)1月9日、Kとは生前別居していたにもかかわらず養育していると見せかけて遺族基礎年金138万円分を社会保険事務所からだまし取ったとして、詐欺容疑で逮捕された[13]。
2003年(平成15年)3月14日、広島地裁(岩倉広修裁判官)で初公判が開かれ、罪状認否で養母は起訴事実を認めた[14]。
2003年(平成15年)5月19日、論告求刑公判が開かれ、検察官は「金銭欲しさの自己中心的な犯行」として養母に懲役2年を求刑した[15]。同日の最終弁論で弁護人は「被告はすでに四か月も拘置された」として情状酌量を求め、結審した[15]。
2003年(平成15年)6月9日、広島地裁(岩倉広修裁判官)で判決公判が開かれ、裁判官は「手口が巧妙で被害額も大きい」として養母に懲役2年・執行猶予3年の有罪判決を言い渡した[16]。
脚注
- ^ a b c d e “H12.1.20 ~ 地下道における少女刺殺事件(広島市中区西白島)”. 広島県警. 2021年10月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『読売新聞』2000年1月20日 大阪夕刊 夕社会11頁「16歳少女刺殺される 未明、通り魔の可能性も 広島の横断地下道」(読売新聞大阪本社)
- ^ a b c d e f g h i j k l 『読売新聞』2010年1月21日 大阪朝刊 広島25頁「16歳殺害 10年、風化許すな チラシ配り情報募る=広島」(読売新聞大阪本社)
- ^ a b c d e f g 『朝日新聞』2000年1月21日 朝刊 1社31頁「恨み・通り魔の可能性 広島の少女刺殺事件【大阪*】」(朝日新聞大阪本社)
- ^ a b 『朝日新聞』2001年1月21日 朝刊 広島1 37頁「犯人像絞り込めず 有力情報なく難航 地下道殺人、捜査1年/広島」(朝日新聞大阪本社)
- ^ a b c d e 『読売新聞』2000年7月20日 大阪朝刊 広島23頁「中区の少女刺殺事件 手がかりなく半年 知人か通り魔か絞れず=広島」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2010年4月28日 広島 大阪朝刊 広島27頁「殺人の時効廃止 県内未解決事件9件 遺族ら「願いかなう」=広島」(読売新聞大阪本社)
- ^ a b 『朝日新聞』2010年1月21日 朝刊 広島1・1地方24頁「署員がチラシ、情報を 広島・中区の地下道少女刺殺から10年/広島県」(朝日新聞大阪本社)
- ^ 『朝日新聞』2000年2月20日 朝刊 広島29頁「情報少なく、捜査難航 広島・中区の少女刺殺事件から1カ月/広島」(朝日新聞大阪本社)
- ^ a b c “「大切な話が…」 相談の直前に刺殺された16歳少女の謎【未解決事件ファイル】”. リアルライブ. 2021年10月30日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2000年1月24日 大阪朝刊 広西北 21頁「中区の少女刺殺事件 凶器発見できず 県警が太田川河川敷などを探索=広島」(読売新聞大阪本社)
- ^ a b 『朝日新聞』2000年1月27日 朝刊 広島23頁「情報少なく捜査難航 広島・中区の16歳刺殺事件から1週間/広島」(朝日新聞大阪本社)
- ^ “殺人事件被害者の養母を詐欺の疑いで逮捕”. 産経新聞 (2003年1月9日). 2003年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月3日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2003年3月15日 広島 大阪朝刊 広島31頁「遺族年金詐欺事件初公判 被告が起訴事実認める 地裁=広島」(読売新聞大阪本社)
- ^ a b 『読売新聞』2003年5月20日 広島 大阪朝刊 広島33頁「遺族年金詐欺 被告に懲役2年求刑 地裁=広島」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2003年6月10日 広島 大阪朝刊 広島35頁「遺族基礎年金詐取 妻に有罪判決=広島」(読売新聞大阪本社)
関連項目
- 広島市佐伯区スーパー強盗殺人事件 - 同年に同じく広島市で発生した未解決事件
- 広島市中区地下道16歳少女刺殺事件のページへのリンク