年度代表馬へ
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「オンスロート (競走馬)」の記事における「年度代表馬へ」の解説
だが6歳となった1962年に、オンスロートは一層の充実振りをみせる。まずは正月の金杯で中央競馬での重賞初勝利を飾り、幸先の良いスタートを決めた。そして天皇賞(春)を目指して関西への遠征を敢行すると、前哨戦のスワンステークスで3着。しかし本番では西の筆頭シーザーを破り、ついに念願の盾を獲得した。 関東に戻って緒戦の東京記念こそ7着と人気を裏切ったが、その後のオンスロートは盤石の強さで連勝を続ける。7月の日本経済賞ではタカマガハラを軽々と退け、秋になってもオープン戦を2連勝。そして前年のリベンジとなった有馬記念では、日本代表としてワシントンDCインターナショナルに出走して帰国したばかりのタカマガハラを1と3/4馬身差で下し、グランプリ制覇を達成した。この活躍により、オンスロートは啓衆社賞年度代表馬に選出されている。
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年度代表馬へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 05:00 UTC 版)
1970年、フォートマーシーの6歳シーズンは同馬の全盛期であった。クイッケンツリーやフィドルアイル、ドラムトップらを相手にしながらアメリカ東西の芝競走13戦に出走し、センチュリーハンデキャップとディキシーハンデキャップではレコードタイムを記録して優勝している。敗れた競走でも2着や3着に食い込むことが多く、サンフアンカピストラーノハンデキャップではクイッケンツリーとフィドルアイル同着決着にハナ差届かずの3着であった。 9月にユナイテッドネイションズ招待ハンデキャップで優勝すると、翌戦のマンノウォーステークスを4度目の挑戦にして初制覇を果たし、さらに年末のワシントンDCインターナショナルも再び優勝して3連勝を飾った。この戦績が評価され、フォートマーシーは同年の最優秀芝牡馬、さらに芝路線の競走馬ながらにして年度代表馬として選出される快挙となった。 翌年1971年がフォートマーシーにとって最後のシーズンとなり、8戦をこなしたが1勝も挙げることなくその年を終えた。前年に続いてドラムトップ、さらにチリからの移籍馬クーガーらを相手に苦戦し、またディキシーハンデキャップでは1位入線ながらも降着(4着)で敗れている。9月に出走したケリーオリンピックハンデキャップ3着を最後に引退した。
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