平城京の建築物とは? わかりやすく解説

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平城京の建築物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:03 UTC 版)

平城京」の記事における「平城京の建築物」の解説

平城宮内裏)は朱雀大路北端位置し、そこに朱雀門設置された。平城宮平城京造営当初から同じ位置存在した。その中心建物で、朱雀門の北にあった大極殿740年恭仁京遷都の際に取り壊され745年平城京遷都後に旧位置東側壬生門の北)に再建された。朱雀大路南端には羅城門があり、九条大路の南辺には京を取り囲む羅城があった。ただし、実際に羅城羅城門接続する極一部しか築かれなかったのではないかとする説が有力である。 寺院建築非常に多い。京内寺院主要なものは、大安寺薬師寺興福寺元興寺(以上を四大寺称した)で、これらは藤原京から遷都に際して移転されたものである東大寺東京極大路接した京域の東外にあり、聖武天皇によって天平勝宝4年752年)に創建西大寺右京北方位置し称徳天皇により天平神護元年765年)に創建された。これらに法隆寺加えて七大寺南都七大寺)と称するこの他海龍王寺法華寺唐招提寺菅原寺喜光寺)、新薬師寺紀寺子院が残る)、西隆寺廃寺)などがあった。 2006年3月10日大和郡山市教育委員会らが、平城京十条大路まで造られていたのは確実であると発表した。下三橋遺跡発見され道路遺構加え羅城城壁)跡の一部発見されたことに依る。この羅城中国の都城の様な土壁ではなく南面だけは高い築地塀があったが他は簡単な瓦葺き板塀ではないか推定されている。羅城から十条大路推定域までが、新たに平城京南方遺跡として周知の遺跡指定されている。

※この「平城京の建築物」の解説は、「平城京」の解説の一部です。
「平城京の建築物」を含む「平城京」の記事については、「平城京」の概要を参照ください。

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