平城京を脱出した理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:44 UTC 版)
聖武天皇が平城京を捨てて新しい都に遷都した理由について、研究者の見解はおおむね一致している。即ち、「疫病の流行による社会不安と藤原広嗣の乱に象徴される政界の混乱を一気に収束させること」が目的、「天平4年から続く旱魃・飢餓・地震・天然痘に汚染された平城京」からの計画的な脱出、「天然痘流行をはじめとする国難に対処し国土の復興を目指すために平城京を捨て」恭仁宮へ遷都する、疾病が大流行する平城京を捨て清らかな自然に満ちた恭仁の地に移るなど。 なお、東国行幸開始のタイミングについて、広嗣の乱にショックを受けた聖武が突如出発した可能性が議論されていたが、2010年代には、行幸は乱の勃発前から予定されており乱が終決する見込みが立ったので出発したと考えられるようになった。
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