平城京の副都として整備されていた難波宮
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「彷徨五年」の記事における「平城京の副都として整備されていた難波宮」の解説
難波宮の中枢部の遺跡は現在の大阪城の南にあるが、聖武の意思によって彷徨五年が始まる10年以上前から再整備が進んでいた。聖武は瀬戸内海の海上交通の重要拠点である難波の地を重視し、即位の2年後の神亀3年10月から藤原宇合を知造難波宮事に任命し平城京の副都として難波宮の再整備に着手した(後期難波宮)。工事は天平4年(732年)にほぼ一段落し、宇合や作業に従事した仕丁以上の者に物を賜り、天平6年には官人らに難波宮での宅地が班給された。
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