帰国後の気象学・海洋学研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 01:13 UTC 版)
「田村哲」の記事における「帰国後の気象学・海洋学研究」の解説
当時の東京気象台すなわち「中央気象台」は文部省管轄であったが、現在の国土交通省の「気象庁」に当たる。ここで田村が何をしたのかはあまり明らかではない。中央気象台でどのような役割・身分であったのかさえ不明である。 中央気象台の『気象集誌』に追悼文を寄せた岡田武松も、田村を「本会会員」とは述べているが、これは「大日本気象学会」(後の日本気象学会)の会員以上の意味はない。また、岡田による田村の日本における業績も、諸学校での気象学関連講義の他は、「水路部」での海上気象・海洋学上の調査・設計事業となっているだけである。 ここで言及された「水路部」は、舟橋雄草による追悼ならびに田村哲君小伝でも出て来る。すなわち、「水路部に於ては海上氣象並に潮流磁氣に關する調査に從事し最後に農商務省に於て漁業基本調査に關する研究を嘱託せられたり」とあるが 、水路部とは海軍省水路部のことであって現在の海上保安庁水路部のことであるから中央気象台とは管轄違いであった。 農商務省とは、もちろん日本政府の農商務省のことであって、現在のように農林水産省と経済産業省にわかれていない。舟橋によると、田村は農商務省の嘱託としても漁業に関連する「新器械」を考案し瀬戸内海に施設する事業を行ったとある。岡田の追悼文にある「設計事業」と重なる。
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