帝国主義・満州国進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:37 UTC 版)
商品輸出の拡大や市場支配圏の獲得を目的に三井物産が国家政策と一体化して帝国主義的進出を展開した。満州事変・日中戦争・太平洋戦争を通じて中国へ進出した。当時の香港の主要取引としては、欧州・日本・豪州及び東南アジア、清国沿岸地方が四大市場をなしていたが、欧米市場からは鉄、機械などの生産手段と綿糸布などの消費資料を輸入し、生糸、絹織物などの嗜好品が輸出され、日本からは綿糸布、石炭、燐寸などの消費資料、原料品、雑貨品が輸入され、棉花、砂糖、米などが輸出されていたが、日本にとって当該期の香港は主に輸出市場としての位置にあったのである。また、豪州・東南アジア市場との貿易は輸入において、米、石炭.錫の鉱産物、輸出においては茶、砂糖のほか雑貨品を主としていた。清国沿岸地域とは生糸、絹織物を輸入し、生産手段、雑貨品を輸出していた。そして、このような四大市場相互間には清国産の生糸、絹織物の欧米への輸出と、欧米からの生産手段、綿糸・綿布・綿織物の清国への輸入にみられるように有機的連関が形成されており、その中継港として香港市場があったのである。
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