市場形成と分業化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:19 UTC 版)
北宋における大経済圏は大まかに言えば、首都・開封を中心とする華北平原の北部、豊かな江南と西南に位置する嶺南の南部、独特の構造や習慣を持つ四川と関中の西部、の三つの経済圏である。三地域の間には長江と山脈という地理上の大きな障害があり、各商業圏の間では物の値段や商慣習が異なった。 商業圏の間をつなぐ存在が「客商」である。客商は「他の地域の商人」の意で、対して地元の商人は「座商」という。商業圏の間で商品の値が違うので、客商はこれを利用して利益を上げた。しかし前述の通り商慣習が異なり、また伝手の無い状態では売手・買手の確保も難しい。これを補うのが邸店および牙人である。 邸店は元は旅館を指す言葉だが、旅人の荷物を預かる事から派生して倉庫の役割を担うに至った。宋代の邸店は自ら客商の商品を買取って舗戸(小売商)に売る仲買問屋となった。さらに邸店の下で周旋・仲買に動いたのが牙人である。 牙人は、初め売手と買手の間を取持ち、牙銭という手数料を得る周旋業者であった。次第に客商や生産者から買付け、仲買業を営むようになった。市易法により邸店が立ち行かなくなった後は、政府の市易務の下で買付けを務めるようになった。 以上のような形で市場が形成され分業化が進んだが、地方に行くほど分業が未成熟になり、生産者たる農民が直接客商に販売したり、邸店が牙人の役割を果たすといった事例が見られる。
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