崩壊とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 14:08 UTC 版)
給料の支払いが滞るなか、6月末に米国柔道協会によるハワイでの巡業の要請がエースである木村に打診された。山口、坂部も同調し、3人は国際柔道協会を脱退してのハワイ行きを決めた。国際柔道協会は裁判に訴えるなど、脱退組と衝突し、団体は混乱状態に陥った。こうした環境の中、10月以降の活動は見られず、団体は発足から一年も持たず、解散となった。 団体崩壊後、アマチュアの柔道家に戻るものや、柔拳興行(柔道とボクシングの興行)に参加するものもいた。また、木村、山口、遠藤、高木(月影四郎)、出口(ミスター珍)らのようにプロレスラーとなったものがおり、プロレス団体として、木村は国際プロレス団(国際プロレスとは別団体)を、山口は全日本プロレス協会(全日本プロレスとは別団体)を後に設立するなどした。
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