崩壊するThe 3J's
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 04:08 UTC 版)
「ジェイソン・キッド」の記事における「崩壊するThe 3J's」の解説
1995‐96シーズンの混乱はオフになっても尾を引き、オーナーのドナルド・カーターはチームの大部分を売却し、新オーナー陣はディック・モッタをコーチから解任。後任にジム・クレモンズが選ばれた。キッド自身はナイキが主催するツアーのために日本へ渡った際、マイケル・ジョーダンから「素晴らしい可能性を浪費している」と説教を受けている。 1996-97シーズン、新しいヘッドコーチは戦術にトライアングル・オフェンスを導入しようとしたが、選手がこれに反発し、特にキッドは公の場でクレモンズの方針を痛烈に批判した。怪我から復帰したマッシュバーンは本来の動きを取り戻せず、新戦術がもたらした混乱と得点源不足によりマブスはシーズン序盤から敗北を重ねた。この頃にはキッドとジャクソンの関係は危険水域に達していた。2人の間には人気歌手トニー・ブラクストンを巡った三角関係もあったとされ、キッドが公の場で「マブスは私かジャクソンを選ばなければならなくなるかもしれない」と口走る場面もあった。マブスももはやキッドとジャクソン、キッドとクレモンズの共存は不可能であると悟り、トレードに向けて動き始めた。そしてクリスマスの翌日、マブスとフェニックス・サンズとの間で大型トレードが交わされ、マブスからはキッド他2名、サンズからはマイケル・フィンリー、サム・キャセール、A.C.グリーンが出される事になった。その後の2月14日にはキッドとジャクソンの対立ではキッド側に味方したマッシュバーンもトレードで放出され、ここに3J'sは完全に解体された。
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