飛行船の崩壊とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/09 05:28 UTC 版)
「キドカラー (飛行船)」の記事における「飛行船の崩壊とその後」の解説
1969年4月4日の夜に徳島県徳島市津田海岸町の埋め立て地で係留中の飛行船が、夜10時頃には風速30m以上にも達した暴風によりマストのワイヤが切れたことをきっかけに飛行船が左右に烈しくのたうち回ったことから、手に負えないと判断したスタッフがリップパネルを開き、ガスを抜かれた飛行船は二度と飛ぶことはなかった。 この後、日立の広報活動は、宣伝列車の「日立ポンパ号」にバトンタッチされることになった。 その一方で、この飛行船が崩壊した後に間もなく日本飛行船株式会社が解散したが、複数の企業が飛行船広告に名乗りを挙げたことから、1971年9月にオリエント飛行船株式会社が設立され、積水ハウス株式会社が飛行船広告のスポンサーとする飛行船レインボー号へと引き継がれることになった。 なお2004年にはタカラのラジコン飛行船「SKYSHIP」シリーズのひとつとしてキドカラー号が発売されている。
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