山岳信仰の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 21:34 UTC 版)
「大山寺 (伊勢原市)」の記事における「山岳信仰の開始」の解説
大山は、丹沢山地の東端、伊勢原市域の西北端に位置する標高1,252メートルの山であり、古くから山岳信仰の対象であった。大山信仰が始まった時期は不明だが、大山の山頂付近での発掘調査により、縄文時代後期の土器片、古墳時代の須恵器・土師器などが発掘されている。このため、信仰開始の時期はかなり古い時代にまでさかのぼることができると推定される。ただし、発掘担当代表責任者は縄文土器は江戸時代初期に持ち込まれたものと断定している 「大山」の名称は由来は不詳だが明治以降は山頂に大山祇神を祀ったためと説明されることもある。大山祇神はかつては「石尊権現」と呼ばれていた。10世紀前期の『延喜式』神名帳には、相模国十三座の一つとして、「阿夫利神社」(アフリノカミノヤシロ)の記載があり、神名帳の原本である神祇官の台帳が天平年間(729 - 749年)の完成とされることから、8世紀前半に阿夫利神社が創建されたとすることもできる。つまり、当時の祭神名が「アフリノカミ」であった。古墳時代以降の山岳信仰で大山そのものへの広域の信仰によるものと考えられる。古代の仏教的山岳修行者が清浄な山内に修行場所を開拓するに従い山頂の磐座が「石尊権現」として祀られるようになったと考えられる。大山で大山祇神が主祭神となったのは明治以降の近代「阿夫利神社」(アフリジンジャ)が成立してからである。
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