居昌の戦い(第34連隊)
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「釜山橋頭堡の戦い」の記事における「居昌の戦い(第34連隊)」の解説
詳細は「居昌の戦い(朝鮮語版)」を参照 7月28日、第34連隊(英語版)(ビューチャンプ大佐)は装備が著しく不足していたが、居昌に接近する北朝鮮軍を第4師団の一部のみであると考えていた第8軍と第24歩兵師団は、第34連隊のみで防御できると考えていた。 居昌は広い谷の中にある街で、街全体を確保しようとすると敵に包囲されかねなかった。第34連隊は居昌周辺に円形陣地を設けていたが、連隊全部が包囲されることを恐れたビューチャンプ大佐は居昌を放棄して高地に移動することを考えていた。しかし第24歩兵師団(ジョン・H・チャーチ少将)はこれを認めなかった。 7月29日午前4時、北朝鮮軍は包囲攻撃を開始した。急襲された居昌東端の第1大隊がパニックから無断撤退。居昌西端の第3大隊も砲撃支援を得られず無断で撤退した。居昌は北朝鮮第4師団に占領された。 居昌を失ったことで、釜山を守る西側面に大きく穴が空いた。第8軍のウォーカー中将は全予備兵力をここに投入することを決意し、開戦から転戦していた精鋭の韓国第17連隊(白仁燁大佐)が北部戦線から転用されるなどした。
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