居昌虐殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 01:50 UTC 版)
山清・咸陽での堅壁清野作戦につづいて2月9日から2月11日にかけて韓国慶尚南道居昌郡にある智異山で崔德新師団長指揮下の韓国陸軍第11師団(朝鮮語版)第9連隊第3大隊は吳益慶連隊長の指揮により、居昌郡から一人残らず共匪パルチザンを殲滅するためとして住民719人(15歳以上334人と15歳未満385人)を虐殺した。韓国軍は、韓国警察の家族までも除外することなく虐殺した。 2月9日未明、第3大隊の部隊は作戦命令第6号によって居昌郡神院面で民家78世帯に放火し、住民80名余を殺戮した。 2月10日、苽亭里、中楡里、大峴里、臥龍里の全民家を焼き払い、疎開させるという理由で住民を連行し、隊列に遅れた老人20名余を射殺し、女子ども100名余を大峴里担凉渓谷で虐殺し、その死体に小枝をかぶせて油をかけて焼却した。10日午後、苽亭里、中楡里の全住民と大峴里、臥龍里の住民1000名を神院初等学校に強制的に収容した。 2月11日朝、収容した住民を、軍警察、公務員、青年防衛隊の家族を警察に引き渡し、残った540名余の住民を珀珊渓谷に集め、機関銃などで射殺し、小枝をかぶせて火を放った。待機させていた住民12名に死亡確認をさせたうち11名を射殺し、最後に残った1名が必死に命乞いをすると絶対に口外するなと撤収した。
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