尾張横須賀まつりとは? わかりやすく解説

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尾張横須賀まつり

(尾張横須賀祭り から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/26 13:59 UTC 版)

尾張横須賀まつり(おわりよこすかまつり)は、愛知県東海市横須賀町に鎮座する愛宕神社[注釈 1]例祭である[1]


  1. ^ 神仏分離までは「愛宕社」・「愛宕権現社」と呼ばれた。
  2. ^ 御成の期間は、以下のとおり[5]。 寛文8年は5月28日~6月15日、6月17日~7月5日、7月24日~8月21日、9月28日~10月8日、10月11日~10月18日、10月20日~10月27日。 寛文10年は6月14日~7月8日、9月25日~10月3日、10月28日~11月15日。 寛文12年は6月21日~6月28日、9月6日~9月22日。 延宝2年は7月1日~8月1日、10月3日~10月30日。 延宝4年は6月28日~8月8日、9月26日~11月6日。 延宝6年は5月18日~6月17日、8月3日~8月26日。 延宝8年は10月18日~11月29日。 天和2年は7月5日~8月6日、9月25日~11月25日~11月19日。 貞享元年は9月(御成があった記録があるのみ。)。 貞享3年は8月25日~10月6日。 元禄元年9月27日~11月3日。 このうち、下線の期間のみが当時の祭礼日(8月24日)を含む。
  3. ^ 戸部御芦當所大教院へ御着岸被遊段々賑ひ御芦御いさめに浦祭つゐてに車一輛からくり紅葉狩に致し閏七月十五日之筈天氣惡敷同十七日に相勤近在所々より大分之見物前代未聞之事と男女老若おしなへて目をおとろかししばし明夕目をふさかす帰りしときこゆ末之世の噺のため書留置申候 享保六丑七月[6]
  4. ^ 愛宕祭礼鳥居先より二町間傘鉾二十本木綿幟二十本提灯四十右三品置[7]
  5. ^ (8月)二十四日 愛宕大権現神楽 知多郡横須賀町 社司 坂近江守 町中笠鉾を捧る。[8]
  6. ^ 祭礼九月廿四日也鳥居先大門通り貮町間ニ笠鉾廿本木綿幟廿本提灯四十張右三品を続り神楽輿行。[9]
  7. ^ 愛宕祠 在濱横須賀 此社邊ヲ扇嶋ト云 毎歳八月廿四日神祭。[10]
  8. ^ (8月)廿四日 知多郡横須賀村愛宕祭 笠鉾ねりもの渡る。[11]
  9. ^ なお、愛知横須賀寮自治会・白扇寮自治会は愛知横須賀自治会の一部として、大同元浜寮自治会は大同元浜荘町内会の一部として存在する。
  10. ^ 丸太元浜町内会は、丸太運輸株式会社の従業員住宅の住民で組織されていた。 町内会が無くなった理由は、同社のスーパー銭湯事業の日帰り温泉施設「天然温泉丸屋玉の湯」の建設で、従業員住宅の敷地の全てが利用されることとなり、住民が移転したため。 なお、当該施設は2003年(平成15年)11月に開業したが、施設の老朽化等により、2021年令和3年)11月23日に閉館した。
  11. ^ 山車を2輌(旧八公組のものと旧圓通組のもの)保有している公通組は、これらを隔年で巡行している。
  12. ^ 丸太運輸株式会社の経営であり、かつての丸太元浜組が同社の社員住宅であった経緯から、祝い込みは続いている。
  13. ^ 交差点南西角にある書店の屋号が由来。
  14. ^ 単なる組内の懇親会であり、神事などではない。なお、試楽は、あくまでも町内の余興という位置付けで、祭礼は次の日(本楽)のみであるという意識から、前夜祭という名称となっている。
  15. ^ 移転前の本町組の蔵は北町地区にある北町組の蔵と隣接していた。
  16. ^ 横須賀川が暗渠となったため、今はない
  17. ^ 現在の横須賀交番から東へ約10mの場所にあった。
  18. ^ 愛知銀行の前身の中央相互銀行の略称が由来。
  19. ^ 角にあったタバコ店の屋号が由来。
  20. ^ 丁字路の隣に所在する寺院の名称が由来。
  1. ^ 東海市 横須賀・大田の山車”. 東海市. 2017年9月3日閲覧。
  2. ^ 東海市の民話執筆委員会 (1992). 東海市の民話. 東海市教育委員会 
  3. ^ 横須賀町史編集委員会 (1969). 横須賀町史. 横須賀町 
  4. ^ 尾張横須賀まつり-祭の歴史”. 2019年3月12日閲覧。
  5. ^ 知多郡役所 (1923). 知多郡史. 愛知県知多郡 
  6. ^ 古今綱領目録横須賀町方編(「知多郡史」収録). 愛知県知多郡. (1923) 
  7. ^ 尾陽村々祭礼集. (1755) 
  8. ^ 横井時文 (1768). 尾州年中行事鈔(「名古屋叢書三編」収録). 名古屋市教育委員会 
  9. ^ 蛙面坊茶町 (1779). 蓬州舊勝録 
  10. ^ 張州雑志. 愛知県郷土資料刊行会. (1789) 
  11. ^ 高力猿猴庵 (1831). 尾張年中行絵抄(「名古屋叢書三編」収録). 名古屋市教育委員会 
  12. ^ 愛知県の山車祭りポータルサイト”. 愛知県、あいち山車祭り日本一協議会. 2019年2月7日閲覧。


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