小友の集落事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 16:55 UTC 版)
「青森県新和村一家7人殺害事件」の記事における「小友の集落事情」の解説
事件現場となった男性X宅は、現在の青森県弘前市大字小友字宇田野496番地(座標)に所在していた。この家は、集落の密集地から数十 m離れたリンゴ農園の中にある住宅(約100 m2)であった。小友は、岩木山の裾野の平地に位置する、リンゴ栽培が盛んな集落で、事件当時は人口数百人、約300戸を有し、青森県内でも屈指の豊かな農村であった。しかし、集落内の貧富の格差も激しく、村の8割は極めて裕福だった一方、残る2割は極度の貧困に苛まれており、特に家督を継げなかった次男・三男は最底辺に位置していた。当時の小友は、新民法で「家族平等の原則」が導入されて以降も、家の財産はすべて長男が継ぐ習慣が残っていたのである。 Mは集落では中流程度の家庭で生育し、新和村立小友小学校を卒業してから家業(農業)を1年ほど手伝った。その後、一時は他家に奉公に出たが、間もなく病を得て帰宅し、自宅で農業に従事する傍ら、桶職の見習いなどをしていた。Mについて、彼の次兄は「おとなしくよい若者」、母親は「真面目で親思いの感心な若者だと村の評判であった」「鳶撃ちが上手だとXによく褒められていた」と、妹は「Mは優しい兄で、実家を出てからも2、3千円をくれて世話してくれていた。(兄弟の中で)一番好き」と証言している。一方、Mは事件以前から、「自分は出来が悪いから父親に憎まれている」と感じていた。
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