小倉神社 (大山崎町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小倉神社 (大山崎町)の意味・解説 

小倉神社 (大山崎町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 00:10 UTC 版)

小倉神社

拝殿
所在地 京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前83
位置 北緯34度54分34.4秒 東経135度40分38.1秒 / 北緯34.909556度 東経135.677250度 / 34.909556; 135.677250 (小倉神社 (大山崎町))座標: 北緯34度54分34.4秒 東経135度40分38.1秒 / 北緯34.909556度 東経135.677250度 / 34.909556; 135.677250 (小倉神社 (大山崎町))
主祭神 武甕槌神
斎主神
天児屋命
比売大神
社格 式内社(大)
郷社
創建 養老2年(718年
本殿の様式 三間社流造
例祭 5月3日
地図
小倉神社
テンプレートを表示
境内入口

小倉神社(おぐらじんじゃ)は京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前にある神社式内大社で、旧社格郷社

祭神

歴史

社伝によると、養老2年(718年)の創建とされる。平安遷都の際には、御所の鬼門除けとして祈願され、嘉祥3年(850年)に正一位の神階を賜ったというが、同時期の事蹟を記した『日本文徳天皇実録』には記載がない。『延喜式』神名帳においては「山城国乙訓郡 小倉神社 大 月次新嘗」と記されている。

安土桃山時代では山崎の戦いの際、豊臣秀吉が家臣の片桐且元脇坂安治を遣わし戦勝を祈願した。そして勝利したとして、毎年米三千俵を寄進したといい、江戸時代には江戸幕府より山地二十余町歩を寄進したといわれ、明治維新までの旧境内地は六万坪余にのぼった。

明治6年(1873年)に村社、明治16年(1883年)には郷社に列格した。

境内

交通アクセス

参考文献

  • 小倉神社記抄録(由緒書)
  • 丹家広志「小倉さん信仰とそれをめぐる貴族文化の影」、小倉神社

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小倉神社 (大山崎町)」の関連用語

小倉神社 (大山崎町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小倉神社 (大山崎町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小倉神社 (大山崎町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS