尋常小から尋常高等小学校へとは? わかりやすく解説

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尋常小から尋常高等小学校へ(1886-1941)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 08:38 UTC 版)

飛騨市立古川小学校」の記事における「尋常小から尋常高等小学校へ(1886-1941)」の解説

小学校令公布により、古川学校1886年明治19年)に古川尋常小学校改称した。同令は就学率向上を目標簡易科の設置認めたが、古川尋常小学校には尋常科のみが置かれた。1888年明治21年)、古川高等小学校古川尋常小学校内に併設され吉城郡1町6組合運営あたった郡内への高等小学校設置が進むにつれ組合から離脱する増え1889年明治22年)に国府村1892年明治25年)に河合村坂上村坂下村離脱して最後まで残ったのは細江村小鷹利村だけであった高等小学校義務教育ではなかったが、1898年明治31年)には190人の児童在籍していた。ただし退学者も多く4年間の課程終え無事卒業できたのは毎年10程度であった。 擬洋風校舎教育環境として問題多く修繕費もかさむため、1898年明治31年)に増島へ新校舎建設決まり1901年明治34年8月完成した新校舎建設見越して1898年明治31年)に古川尋常小学校古川高等小学校統合し古川尋常高等小学校改称した同年に69.3%であった就学率1912年明治45年)には99.3%とほぼ100%達した1907年明治40年)の小学校令改正により、義務教育6年延長された。 1930年昭和5年)度から1938年昭和13年)度の古川尋常高等小学校尋常科6年生進路記録として残っており、これによると7割の児童高等科進学し残り就職多く高山町(後に高山市)にある旧制中等教育学校へ進む児童少数であった就職女子多く、特に製糸業に就くために古川町離れる女子多かった旧制中等教育学校への進学率高山本線開通した1934年昭和9年)から向上し1938年昭和13年)度卒業生は2割が斐太中学校高山高等女学校などへ進学した

※この「尋常小から尋常高等小学校へ(1886-1941)」の解説は、「飛騨市立古川小学校」の解説の一部です。
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