封印と解禁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 05:49 UTC 版)
「ロックンロール・サーカス」の記事における「封印と解禁」の解説
一応は完成した「ロックンロール・サーカス」だったが、映像、音源ともにその後30年近くに及んで公開されなかった。封印された理由について最も多く語られてきたものが、ジャガーがストーンズの演奏に満足しておらず、さらにザ・フーの圧倒的なパフォーマンスにストーンズが霞んでしまったため、というものであった。事実、ジャガーはストーンズの場面だけを撮り直す計画を練っていたが、計画は途中で頓挫した。しかしそれ以上に決定的な要因は、1965年からストーンズのビジネスマネージャーを務めていたアラン・クレインと1970年に決別した事だった。クレインはデッカ・レコード時代のストーンズの作品の多くの版権を握っており、本作の音源および映像フィルムも同様にクレインの所有物となっていた。クレインはこの映像を再編集し、ザ・フーにその映像を売る計画も立てていた。 これにより、幻の作品となった「ロックンロール・サーカス」だが、映像の一部は以下の形で世に出回る事になった。1969年4月には、ドイツのテレビ局が、ジョン・レノンのドキュメンタリー番組の中で、独自のクルーが撮影したものを放映した。また、ザ・フーの伝記映画『キッズ・アー・オールライト』の製作が始まった1977年に、ジャガーとピート・タウンゼントがザ・フーのシーンを救い出し、映画の中に収めることが出来た。 製作から28年たった1996年になり、ようやくVHSとサウンドトラックCDがリリースされた。2004年にはDVDが発売された。DVDにはミック・ジャガーやリンゼイ=ホッグら関係者によるコメンタリーやピート・タウンゼンドのインタビュー、VHSには収録できなかったタジ・マハールの3曲やジュリアス・カッチェンの演奏、ステージ裏のジャガーとレノンの様子などが追加収録された。
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