アナスタシウス (対立教皇)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アナスタシウス (対立教皇)の意味・解説 

アナスタシウス (対立教皇)

(対立教皇アナスタシウス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/04 23:38 UTC 版)

アナスタシウス3世ビブリオテカリウス
第13代 ローマ対立教皇
教皇就任 855年
教皇離任 855年
先代 ヨハネス8世
次代 クリストフォルス
個人情報
死去 878年
原国籍 ギリシャ
テンプレートを表示

アナスタシウス3世ビブリオテカリウス(? - 878年)は、ローマ教皇であるベネディクトゥス3世対立教皇であり、神学者・司書官でもある(在位:855年)。「ビブリオテカリウス」は「書物の人」を意味する。ビブリオテカリウスはビブリオテカルスともいわれる。

生涯

ギリシャ人で、当世最高の神学者学者と評されたほどの人物だった。そのため歴代教皇からは司書官として重用された。

855年9月29日にベネディクトゥス3世が教皇として選出されたが、これは彼より前に選出された人物が教皇位を拒否したために得た幸運に過ぎなかった[独自研究?]。このためベネディクトゥス3世に対する不満が噴出し、反対派がアナスタシウス3世ビブリオテカリウスを擁立したのである。

しかしアナスタシウス3世は学者としての学識こそ高かったが、性格はだらしなく周囲に対する配慮も怠った[要出典]。このため人望を失ってベネディクトゥス3世と和解する。通例ならば[要出典]対立教皇は厳しく処分されるが、彼の学識を惜しんでベネディクトゥス3世は罪に問わなかった。ベネディクトゥス3世の死後、即位したニコラウス1世には大修道院長に任命される。さらにハドリアヌス2世ヨハネス8世の時代には司書として教皇の側近となり、重用された。

878年に死去した。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アナスタシウス (対立教皇)」の関連用語

アナスタシウス (対立教皇)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アナスタシウス (対立教皇)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアナスタシウス (対立教皇) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS