寳山寺と近鉄創業期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 05:30 UTC 版)
1914年(大正3年)4月30日に現在の近畿日本鉄道(近鉄)の直系母体会社である大阪電気軌道(大軌)が初の路線である上本町駅(現・大阪上本町駅) - 奈良駅(現・近鉄奈良駅)間の路線(現、近鉄奈良線)を開業させた際、生駒山の麓に生駒駅が開設されて寳山寺の参詣者は大幅に増加したといわれる。しかしその生駒山を貫く生駒トンネルの莫大な開削費用負担や、沿線人口が少なく観光客頼みであった輸送が雨天期になって減少したことで、大軌は「大阪天気軌道」と揶揄された。 開通して間もない6月下旬には、社員給料の支払いはおろか翌日に使う切符の印刷費も出せないほどに財政が窮乏した。同社の取締役の一人であった金森又一郎(後、同社の代表取締役・社長)は夜遅く寳山寺に向かい、寺に乗車券10万枚と引き換えに賽銭を貸して頂けないかと頼み込んだ。その結果、当時の管主は「大軌が開業する際に寳山寺が生駒に駅を設けることを請願したため、貴社は生駒トンネルの建設に苦しむこととなった。よって当寺にも大軌の苦境の責任がある。力になれるならぜひとも」として、快く資金を都合してくれたという話が残っている。この賽銭は給料にも回されたため、当時の大軌社員の給料袋はズッシリ重かったという。 今も寳山寺には、金森の書いた借用証書が残されているという。また、日本初のケーブルカーが生駒に開業した要因の一つには、上記の話に対する大軌の礼というものもあったといわれる。
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