家督相続と幕末の動乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 00:54 UTC 版)
乃美宗勝の従兄弟である乃美隆興の末裔である長州藩士乃美八郎右衛門の子として生まれる。天保13年(1842年)11月、記録所出頭役見習として江戸に赴く(翌年4月帰国)。安政元年(1854年)1月より相州備場警備を担当(翌年3月帰国)。安政4年(1857年)1月に家督を継ぎ、安政5年(1858年)2月に大組の先手物頭役となる。文久2年(1862年)に上京して目付役、京都留守居役となる。 文久3年(1863年)2月に帰国し、3月より明倫館目付役となるが、八月十八日の政変の後、上京して再び京都留守居役となる。しかし、対馬藩邸を本拠地に「志士の総管」としてそれまでも長州藩の実質的な京都留守居役として活動していた桂小五郎(木戸孝允)が、正式に長州藩京都留守居役に抜擢されることになったため、桂より11歳年長の織江が実質留守居助役へ降格された。
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