家督相続と大友氏からの離反
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 16:00 UTC 版)
「蒲池鎮漣」の記事における「家督相続と大友氏からの離反」の解説
父鑑盛(宗雪)には、長男・鎮久、次男・鎮漣(鎮竝)、三男・統安、四男・統春がいたが、兄鎮久は庶長子であるため、鎮漣が蒲池氏17代目として柳川の蒲池氏嫡流の家督を継ぎ、鎮久は家老として鎮漣を補佐する立場となった。 天正6年(1578年)、耳川の戦いで隠居の身であった父や弟・統安らと共に3千の兵を率いて大友方として出陣する。しかし、大友氏への忠義に厚い父とは異なり、鎮漣は大友氏からの独立志向を持っていたため、仮病を装って病を口実に直属の兵2千を伴って柳川へ帰還した。父鑑盛と弟統安はこの戦いで討死する。
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