家督相続から転封
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 15:26 UTC 版)
大和国郡山藩主・松平忠明の長男として誕生する。寛永21年(1644年)、父の死去により12歳で姫路藩18万石の家督を相続し、直後に弟に3万石を分地する。4年後、年少を理由に山形に転封を命じられるが、のちに宇都宮への転封となる。 この転封に忠弘の非はなく、宇都宮藩の前任・奥平昌能(忠弘の従兄・奥平忠昌の子)の家中不祥事である追腹一件・宇都宮興禅寺刃傷事件による。奥平家は忠弘の本家筋に当たり、寛文8年(1668年)に山形藩と入替転封となっている。宇都宮藩では領内の新田検地を行なったが、僅か13年の支配に終わったため、特段する治績はない。天和元年(1681年)に陸奥白河へ移封された。
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