宣戦布告に先立つ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 23:34 UTC 版)
「アメリカ合衆国の対西宣戦布告」の記事における「宣戦布告に先立つ事件」の解説
1898年2月15日、ハバナ湾でアメリカ海軍の軍艦メイン号が爆発し乗組員260人が亡くなる事件が起こった。ウィリアム・ランドルフ・ハーストやジョーゼフ・ピューリツァーによるイエロー・ジャーナリズムなどに影響され、スペインにアメリカを1895年に勃発したキューバ独立戦争に介入させる意図はないにもかかわらず、アメリカの世論はスペインへの非難一色に染まった。アメリカ合衆国議会は3月9日に追加で5000万ドルを軍事費に充てる決議を可決し、ウィリアム・マッキンリー大統領は3月26日にスペインに対して10月1日までに敵対行為を止めるように要求した。しかし、スペインがマッキンリー大統領の要求を拒絶し、干渉に抗議したため、マッキンリー大統領は4月11日に議会に対してキューバへの介入の承認を求めた。2日後、議会はキューバ独立に関する決議(キューバの併合を否定し、スペインとキューバの戦争を止めさせるために大統領の武力行使を認める)の採決を行い、下院で311対6、上院で42対35でそれぞれ可決され、4月20日にスペインに対してキューバから撤退せねば武力行使するという内容の最後通牒が発せられた。スペインは最後通牒を(厳密には違うものの)宣戦布告と見なしアメリカの大使を退去させ、アメリカに宣戦布告した。4月22日、アメリカ艦隊がフロリダ州のキーウェストを出港し、封鎖を行い、キューバのスペイン軍に物質を送れないようにした。4月25日、アメリカは、21日から戦争状態が存在すると宣言した。
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