実際の事件の史実との一致・異同
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:22 UTC 版)
「にっぽん泥棒物語」の記事における「実際の事件の史実との一致・異同」の解説
地名はすべて「松川」ではなく「杉山」となっており、事件名も「杉山事件」となっている。事件の起きた松川町周辺には、東芝の松川工場(現・「北芝電機」)があり、労働争議が起きていたが、映画では「杉山の北芝工場」という名称になっている。日本社会党と思われる政党を「社会大衆党」、日本共産党と思われる政党を「労働党」と言い換えている。 1949年の初頭には国鉄人員整理があり、それに対する国鉄労働組合の反対運動があったが、映画でも、1949年のまだ肌寒い時期の「杉山駅」で、国鉄労働者の馘首反対署名が行われているシーンがある。 事件の発生時刻は、午前3時過ぎと一致している。事件の翌日、増田甲子七官房長官が「今回の事件は、いままでにない凶悪犯罪である。三鷹事件をはじめ、その他の各種事件と思想的底流においては同じものである」との談話を発表しているが、映画では、同様の官房長官談話がラジオからニュースが流れている。 松川事件の前日に松川駅近くの「松楽座」である少女歌劇団(当時、疑惑のレビュー団として注目され、国会でも取り上げられた)のレビューが一日だけあったが、映画ではさりげなく、食堂の壁にこのレビューのポスターが張り出されているのを映し出している。 松川事件当日に不審な男達を目撃した斉藤金作が1950年に横浜で水死体となって発見された事件のエピソードも、映画では「後藤きんぞう」と名前を変えて描かれている。
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