実施に至る背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 08:22 UTC 版)
「2014年クリミア住民投票」の記事における「実施に至る背景」の解説
クリミアは歴史的に支配者が幾度となく替わり、1783年にロシアの支配下に入った。ソビエト連邦時代、ソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリンによりクリミアに住んでいたクリミア・タタール人はシベリアや中央アジアへと強制的に移住させられた。スターリン死後の1954年、ソビエト連邦共産党第一書記ニキータ・フルシチョフによりクリミアはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国へと移管される。1991年にソビエト連邦は崩壊し、追放されていたタタール人もクリミアへと戻り、1992年にはクリミア自治共和国としてウクライナの一部となった。 クリミア半島南部セヴァストポリにはロシア黒海艦隊基地があり、ロシアにとって戦略上、重要な拠点となってきた。ところがソビエト連邦の崩壊後にウクライナがその一部の所有権を主張したためロシアとウクライナの間に対立が発生し、以来、クリミアでは分離独立を求める声が起こった。クリミアで多数(58%)を占めるロシア系住民はロシアへの帰属意識が強く(しかし、ロシア共和国時代を知らない若者の間ではウクライナへの帰属意識が強いとも言われる)、2014年のウクライナにおける政変で親ロシアのヤヌコーヴィチ政権が崩壊し親欧米派の暫定政権が発足したことについても反発。ロシア帰属を問う住民投票の実施を求めるデモも発生し、2014年2月26日、クリミア最高会議(議会)はロシアへの帰属を問う住民投票の是非について審議。住民投票を求めるデモ隊が、これに反対するウクライナ寄りのデモ隊とにらみあう場面もあった。双方とも数千人規模が参加したとされ、親ロシア派が数百人、親ウクライナ派や親EU派は約4000人だったという報道もあれば、最終的に7000人がデモに参加したという報道もある。
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