官鉄との競争とは? わかりやすく解説

官鉄との競争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 22:30 UTC 版)

関西鉄道」の記事における「官鉄との競争」の解説

名阪全通に伴い官設鉄道との間でこの区間旅客貨物を巡る競争始まった。これは、関西鉄道吸収した側の官鉄正史ともいえる「日本鉄道史」にも紙幅割いて触れられるほどであった関西鉄道は、昼行1往復夜行1往復料金不要急行列車設定した新式の「早風(はやかぜ)」(後の国鉄6500形蒸気機関車)と名づけられた蒸気機関車用いた急行は、同区間昼行では下り5時間34分・上り5時間16分、夜行下り6時41分・上り6時間3分で走破した。この時、官鉄下り急行列車名古屋駅 - 大阪駅間において昼行6時間4分、夜行が5時間20分で走破し運賃同額1円21であったから、勝負はほぼ互角であった1900年明治33年)の関西本線ルート湊町駅 - 名古屋駅完成後は昼行急行に関してはこちらのルートを通すようになった。しかし所時間はこの時若干伸びたその後1902年明治35年)には再び所要時間短縮し、5時間弱の運転とした。急行列車には1904年明治37年)より食堂車連結されるようになった1902年明治35年8月1日官鉄の同区間片道運賃1円77銭・往復運賃が2円30銭だったのに対して関西鉄道往復運賃を2円(片道1円47銭)に値下げると、官鉄同月6日往復運賃1円47銭に値下げし往復運賃片道運賃下回るという事になった関西鉄道すぐさま往復運賃1円50銭に値下げし団扇などといった小物サービスを行うなどして競争泥沼化して行った同年末に名古屋商業会議所建議により大阪府知事国会議員等の調停がなされ和解成立したものの、翌年10月になって関西鉄道側が一方的に協定破棄する形で競争再開され、同鉄道片道運賃1円10銭・往復運賃1円20銭とし弁当などもサービスした。この競争は、1904年明治37年2月日露戦争勃発したことで輸送軍需優先となったため、同年5月にようやく終結した

※この「官鉄との競争」の解説は、「関西鉄道」の解説の一部です。
「官鉄との競争」を含む「関西鉄道」の記事については、「関西鉄道」の概要を参照ください。

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